


慶長5年(1600年)、関ケ原合戦の時に佐賀初代藩主・鍋島勝茂は西軍(豊臣方)に加わったが敗北し、進退に窮した。この謝罪について、西本願寺の准如上人が中を取持って佐賀藩は事なきを得た。その恩顧に報いるために創建されたのがこの「願正寺」である。
これ以降、肥前領内の真宗寺院並びに門徒宗は、すべて西本願寺となり「願正寺」はその中心寺院として肥前国総道場と称されるている。



慶長5年(1600年)、関ケ原合戦の時に佐賀初代藩主・鍋島勝茂は西軍(豊臣方)に加わったが敗北し、進退に窮した。この謝罪について、西本願寺の准如上人が中を取持って佐賀藩は事なきを得た。その恩顧に報いるために創建されたのがこの「願正寺」である。
これ以降、肥前領内の真宗寺院並びに門徒宗は、すべて西本願寺となり「願正寺」はその中心寺院として肥前国総道場と称されるている。