

平川予四右衛門が生まれた多久領砥川谷村は江戸時代の始め頃から、七十数軒程の石工が住む「石工の里」でした。
平川予四右衛門は、その砥川石工を代表する最も高名な石工の棟梁です。予四右衛門の名が刻まれた石仏が北部九州で四十体確認されています。その予四右衛門の名は、七十年近く見ることができ少なくとも三代に渡り、襲名されていたようです。


平川予四右衛門が生まれた多久領砥川谷村は江戸時代の始め頃から、七十数軒程の石工が住む「石工の里」でした。
平川予四右衛門は、その砥川石工を代表する最も高名な石工の棟梁です。予四右衛門の名が刻まれた石仏が北部九州で四十体確認されています。その予四右衛門の名は、七十年近く見ることができ少なくとも三代に渡り、襲名されていたようです。