

百武志摩守は、龍造寺四天王のひとりで、龍造寺隆信から百人並みの武勇を有すると賞され、百武姓を賜る。
★「龍造寺四天王」―成松信勝、江里口信常、百武志摩守、円城寺信胤。
また龍造寺配下の武勇に優れたる四人を「両弾二島」と呼び賞賛した。その中にも百武志摩守との名前がある。
★「両弾二島」―大村弾正・犬塚弾正・百武志摩守・上瀧志摩守。
百武志摩守は、龍造寺隆信が筑後国蒲池(現福岡県柳川市)の蒲池鎮漣を謀殺し、その一族を冷酷に皆殺しにしたことには同意出来ず、柳川の戦いには、ついに最後まで出陣しなかった。
しかし、最期は天正12年(1584年)、沖田畷の戦いにて主君・龍造寺隆信と共に討死した。




