

このノルマントン号に、佐賀市蓮池町出身の八谷種次郎が乗り合わせていたのでした。
八谷家は、縫製業と製靴業を営む裕福な商家でした。種次郎は、これから先の時代は羽織袴から洋服と靴の時代が来ることを見越して上京し、その技術を習得して佐賀への帰途でこの海難事故に遭遇したのでした。まだ年若く当時25歳でした。
この青年の死を悼み、書聖・中林梧竹が追悼文を興し碑文としました。
「八谷種次郎は肥前の人なり。商工をもって裕国厚民の源となし、東京に至りて視察せり。帰付に及び、英国ノルマントンの輪船のみ明治19年10月24日、紀州洋に行き至り触礁沈没す。船長ドレークのなすところに因る。20余人と同じく難に及ぶ。時に年、29にして子一あり。哀れむべきのみなり。明治21年建。中林梧竹書」




