



於保氏の出である八戸宗暘は、「八戸城」に拠って龍造寺氏と対立しましたが、弘治4年(1558年)龍造寺隆信に追われました。さらに、元亀元年(1570年)龍造寺と大友の決戦、「今山の陣」の時は大友陣に内応して戦傷、その後没しました。
八戸宗暘は、山本常朝の曽祖父の縁があるので、「龍雲寺」に山本常朝一族の墓があります。
ここ「龍雲寺」周辺は、館内(たちのうち)の呼称や、城堀(じょうほり)の地名が今も残り、堀割の地形にも当時の姿が偲ばれます。




於保氏の出である八戸宗暘は、「八戸城」に拠って龍造寺氏と対立しましたが、弘治4年(1558年)龍造寺隆信に追われました。さらに、元亀元年(1570年)龍造寺と大友の決戦、「今山の陣」の時は大友陣に内応して戦傷、その後没しました。
八戸宗暘は、山本常朝の曽祖父の縁があるので、「龍雲寺」に山本常朝一族の墓があります。
ここ「龍雲寺」周辺は、館内(たちのうち)の呼称や、城堀(じょうほり)の地名が今も残り、堀割の地形にも当時の姿が偲ばれます。