
愛敬島4号水賂の十間堀川への注ぎ口に架かる橋。その名は、大財村にあった「大財聖堂」にちなんでいる。
元禄5年(1692)、儒学者武富廉斎は、私財を投じ邸内に広さ約千四百坪の聖堂を完成させた。
墓は、始め聖堂内の一角にあったが宅地整理の為、呉服元町の称念寺に移された。

愛敬島4号水賂の十間堀川への注ぎ口に架かる橋。その名は、大財村にあった「大財聖堂」にちなんでいる。
元禄5年(1692)、儒学者武富廉斎は、私財を投じ邸内に広さ約千四百坪の聖堂を完成させた。
墓は、始め聖堂内の一角にあったが宅地整理の為、呉服元町の称念寺に移された。