

多久茂文と正室の墓である。
茂文は、佐賀二代藩主・鍋島光茂の三男で、貞亨3年(1686)17歳のとき、多久第四代邑主となった。学問の大切さを知らしめるために、学問所(後の東原庠舎)を設け農民や町人にも門戸を開放し、後に孔子を祀った多久聖廟を創建する。


多久茂文と正室の墓である。
茂文は、佐賀二代藩主・鍋島光茂の三男で、貞亨3年(1686)17歳のとき、多久第四代邑主となった。学問の大切さを知らしめるために、学問所(後の東原庠舎)を設け農民や町人にも門戸を開放し、後に孔子を祀った多久聖廟を創建する。