



天平9年(737年)、僧行基がこの地にいた豪族親娘の情愛や孝行話に感動して大楠に馬頭観音像を彫ったと云われています。あわせて人馬の安全と健康を守るため祈願しました。
残念ながら観音像は、嘉永4年(1851年)に起きた火災の為、焼失してしまいました。この楠樹の事は、ここを通ったドイツ人医師ケンペル(1691年)やシーボルト(1826年)の日記や紀行にも記録されています。




天平9年(737年)、僧行基がこの地にいた豪族親娘の情愛や孝行話に感動して大楠に馬頭観音像を彫ったと云われています。あわせて人馬の安全と健康を守るため祈願しました。
残念ながら観音像は、嘉永4年(1851年)に起きた火災の為、焼失してしまいました。この楠樹の事は、ここを通ったドイツ人医師ケンペル(1691年)やシーボルト(1826年)の日記や紀行にも記録されています。