


永正2年(1503年)、龍造寺家兼は、万部島にて弟の水上山万寿寺和尚・天亨を導師として大乗妙典一万部を読経させた。
この地は、水ヶ江城の鬼門に当たり、領内の僧三千人余を集め読誦により国家安泰、万民安楽の祈願とした。
佐賀藩になってからも家兼の故事にちなみ法華経一万部の読経は続き、この地は霊場とされ佐賀藩代々の藩主により記念の石塔が建立された。そのため周囲は池がめぐらされ、森源の地としてみだりに衆人の出入りが禁じられた。



永正2年(1503年)、龍造寺家兼は、万部島にて弟の水上山万寿寺和尚・天亨を導師として大乗妙典一万部を読経させた。
この地は、水ヶ江城の鬼門に当たり、領内の僧三千人余を集め読誦により国家安泰、万民安楽の祈願とした。
佐賀藩になってからも家兼の故事にちなみ法華経一万部の読経は続き、この地は霊場とされ佐賀藩代々の藩主により記念の石塔が建立された。そのため周囲は池がめぐらされ、森源の地としてみだりに衆人の出入りが禁じられた。