

鍋島光茂の三男である多久茂文は、多久邑主として多久聖廟を創設します。
宝永5年(1708年)、山谷を切り開いた地に荘厳な聖廟が完成します。その監督、設計は、多久茂文が幼少の頃に教えを受けた「武富廉斎」が行いました。
「大財聖堂」も基本的には、写真のような中国の儒教式本殿があったと考えられます。


鍋島光茂の三男である多久茂文は、多久邑主として多久聖廟を創設します。
宝永5年(1708年)、山谷を切り開いた地に荘厳な聖廟が完成します。その監督、設計は、多久茂文が幼少の頃に教えを受けた「武富廉斎」が行いました。
「大財聖堂」も基本的には、写真のような中国の儒教式本殿があったと考えられます。