
橋の親柱にかすかに「明十三橋」と刻んである。明治13年、架設時の佐賀郡長・武富良橘の命名による。
佐賀白山の豪商、武富家は明人十三官を祖としその一族は、白山町や勢屯(せいだまる)町、大財村に居住した。
「大財聖堂」を建立した武富廉斎は、中国の明時代内乱を避けて室町末期の日本に亡命した十三官の曾孫である。

橋の親柱にかすかに「明十三橋」と刻んである。明治13年、架設時の佐賀郡長・武富良橘の命名による。
佐賀白山の豪商、武富家は明人十三官を祖としその一族は、白山町や勢屯(せいだまる)町、大財村に居住した。
「大財聖堂」を建立した武富廉斎は、中国の明時代内乱を避けて室町末期の日本に亡命した十三官の曾孫である。