
神代勝利は、筑後で大宮司であった神代氏の流れを汲む、肥前国・山内の領主です。永正8年(1511年)、肥前国千布城で生まれ、龍造寺氏と肥前国の覇権争いを続けます。龍造寺氏と抗争する近隣の小領主を支援して軍勢を派遣するなど、反龍造寺に徹しました。
三瀬や富士など山間地を本領とする神代氏の軍勢は、山岳戦に長けており、兵数に勝る龍造寺方の軍勢を幾度も撃退します。
しかし最期は、少弐氏が滅亡するに及び、息子・長良の娘と龍造寺隆信の三男・家信の婚儀を約して和睦しました。
永禄8年(1565)、山内(旧佐賀郡富士町)・畑瀬で病の為、55歳で没しました。墓は、畑瀬城の裏手にあった「宋源院」にありましたが、嘉瀬川ダム建設において畑瀬地区が水没するため、高台に移設されました。
今は、工事中のため立入る事ができませんが、ダム完成後は周辺道路と共に整備される予定です。




