

元禄5年(1692)、城下の大財村(現・六反田付近)に武富廉斎が建立した聖堂である。
その建立は、多久聖廟より先立つこと12年早く、両聖堂ともに設計・監督は、廉斎の手によるものである。聖堂内には、佐賀藩主・鍋島綱茂自筆の孔子像や蓮池・鍋島直之自筆の顔子像があった。
郷学の殿堂として幕末まで子孫相嗣ぎ170年の長きに渡り輝かしい文教の光を放った。


元禄5年(1692)、城下の大財村(現・六反田付近)に武富廉斎が建立した聖堂である。
その建立は、多久聖廟より先立つこと12年早く、両聖堂ともに設計・監督は、廉斎の手によるものである。聖堂内には、佐賀藩主・鍋島綱茂自筆の孔子像や蓮池・鍋島直之自筆の顔子像があった。
郷学の殿堂として幕末まで子孫相嗣ぎ170年の長きに渡り輝かしい文教の光を放った。