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LOCAL HISTORY / SAGA
神社1

義祭同盟

 天和2年(1682)信溪没後、その次男元久が祭式を嗣いだが、三代藩主鍋島綱茂の代に浪人となり、その後祭式は途絶、天明3年(1783)永明寺廃寺の後、楠公父子御尊像は高伝寺に移された。
 
文化13年(1816)、大塚長徹・嘉村穏蔵が、御尊像を高伝寺の楼門で発見した際、有職故実家の山領主馬(利昌)に調査を依頼し、更に小出光豊に命じて修復させ、本庄梅林庵(現在の佐賀市本庄町梅林寺)に安置した。高伝寺長寛和尚のもとに開眼式を厳修し、以降梅林庵にて毎年楠公祭を執行するに至る。
 
嘉永3年(1850)藩内の古社寺・古文書等を調査していた枝吉神陽・相良宗蔵が、偶然梅林庵の御尊像を拝見し、楠公父子の尊皇忠義の精神を行動の規範とすべく志を立て、神陽自ら主唱者となって楠公義祭同盟を結成、深江信渓の裔孫種禄を祭主に楠公祭を執行した。
 
嘉永6年(1853)の義祭同盟には、佐賀藩の家老白石鍋島家当主直暠(河内)や執政須古鍋島家当主茂真(安房)が参加、その時に神陽は、茂真に相談して、御尊像を龍造寺八幡宮境内に移祀することを計画した。のち藩主鍋島直正の内命を奉じて、安政2年(1856)に鍋島茂真・枝吉神陽等が、梅林庵から龍造寺八幡宮に楠公父子像を移し、同3年(1857)、八幡宮の本地堂を神殿にして御尊像を遷座、神事を執行した。
 
同4年(1857)、深江種禄が京都吉田家より玉串免許を取得して神職の資格を得、同5年(1858)には、神式による「楠社御祭」を盛大に執行した。島義勇・副島種臣・江藤新平・大木喬任・大隈重信等、佐賀の七賢人と称えられた郷土の誇る明治維新の功臣等は、悉くこの義祭同盟に参加した(述べ約650名)。

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