ホーム/探訪の記録/田手宿 LOCAL HISTORY / SAGA田手宿長崎街道・追分石投稿日 2008.11.26文・記録:furusato 田手神社を東へ行くと、追分石が建っています。 「日本六所脊振山弁財天道」と刻んであります。これより北へ登ると背振へ行く分かれ道であったのでしょう。長崎街道は、さらに東へ進みます。 記事のURLをコピー印刷する 郷土史探訪家吉松潤二街の記憶と、人の営みをたどる。写真と資料、日々の探訪から、この土地の物語を綴ります。 CONTINUE EXPLORINGあわせて読みたい記録一覧へ戻る →↗田手宿2008.11.26長崎街道・田手神社その2田手神社本殿には、鍋島家紋・杏葉紋が掲げてあります。 由緒書きは、杉野宮司さんが書かれたもので濃い墨で書いたので、十年は何とか消えずにす…記録を読む →↗田手宿2008.11.26長崎街道・田手神社その1田手宿のある田手神社は、今から約1300年前、天照皇太神宮を勧請して建立されたと由緒書きにあります。 杉野隼人という人物が伊勢神宮に願い…記録を読む →↗田手宿2008.11.25長崎街道・田手宿ひのはしら一里塚を東へ進むと、「田手宿」へと入ります。いまでも僅かながら、街道筋の雰囲気が残る地区です。 江戸後期の狂歌師・太田南畝の「…記録を読む →
↗田手宿2008.11.26長崎街道・田手神社その2田手神社本殿には、鍋島家紋・杏葉紋が掲げてあります。 由緒書きは、杉野宮司さんが書かれたもので濃い墨で書いたので、十年は何とか消えずにす…記録を読む →
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