

島 義勇・・・文政5年(1822年)生、明治7年(1874年)没。
佐賀城下の精小路に、佐賀藩士の子として生まれ、藩校・弘道館で学ぶ。
明治2年(1869年)、新政府において藩主・鍋島直正が蝦夷開拓督務になると、蝦夷開拓御用掛に任命され、同年7月22日、開拓使主席判官に就任する。さらに明治4年(1871年)12月に秋田県の初代権令(知事)となる。
明治7年(1874年)、「憂国党」の党首として「佐賀の乱」を起こすが敗れ、同年3月7日捕らえられ、4月13日斬首刑に処された。


島 義勇・・・文政5年(1822年)生、明治7年(1874年)没。
佐賀城下の精小路に、佐賀藩士の子として生まれ、藩校・弘道館で学ぶ。
明治2年(1869年)、新政府において藩主・鍋島直正が蝦夷開拓督務になると、蝦夷開拓御用掛に任命され、同年7月22日、開拓使主席判官に就任する。さらに明治4年(1871年)12月に秋田県の初代権令(知事)となる。
明治7年(1874年)、「憂国党」の党首として「佐賀の乱」を起こすが敗れ、同年3月7日捕らえられ、4月13日斬首刑に処された。