
嘉永6年(1853年)、徳川幕府は江戸湾防備のために品川に台場を築き、そこに備える大砲の製造を佐賀藩に依頼した。
鍋島直正公は、その要請に応じて多布施川の傍に「公儀石火矢鋳立方」を設け、反射炉を設置して大砲の量産を開始した。
そして、3年の間に24ポンド砲・36ポンド砲を各25門、別に150ポンド砲を3門、を製造して幕府に納入した。

嘉永6年(1853年)、徳川幕府は江戸湾防備のために品川に台場を築き、そこに備える大砲の製造を佐賀藩に依頼した。
鍋島直正公は、その要請に応じて多布施川の傍に「公儀石火矢鋳立方」を設け、反射炉を設置して大砲の量産を開始した。
そして、3年の間に24ポンド砲・36ポンド砲を各25門、別に150ポンド砲を3門、を製造して幕府に納入した。