

ひのはしら一里塚を東へ進むと、「田手宿」へと入ります。いまでも僅かながら、街道筋の雰囲気が残る地区です。
江戸後期の狂歌師・太田南畝の「小春紀行」によると、次のような記述があります。
『田間を行て多手川をわたる。 土橋なり。左の方なる堤をゆくに、川を左にし田を右にす。又右にゆきて、川をはなれて一村あり。多手町といふ。左に寺あり。又土手のの上に小社有り。右に曲がれば人家たちつづけり 土橋をわたりて左りに石表有り。』


ひのはしら一里塚を東へ進むと、「田手宿」へと入ります。いまでも僅かながら、街道筋の雰囲気が残る地区です。
江戸後期の狂歌師・太田南畝の「小春紀行」によると、次のような記述があります。
『田間を行て多手川をわたる。 土橋なり。左の方なる堤をゆくに、川を左にし田を右にす。又右にゆきて、川をはなれて一村あり。多手町といふ。左に寺あり。又土手のの上に小社有り。右に曲がれば人家たちつづけり 土橋をわたりて左りに石表有り。』