

龍造寺隆信は、追われた水ヶ江城を奪還すべく筑後一ツ木(大川市一木)より船で発ち、肥前へと向かった。
しかし暴風雨にあい、柳津留(現・小城市牛津町砥川)の入江に漂着した。ところが、その地は杵島郡内で有馬氏が押収した土地で、有馬氏家来が討伐に来たので隆信は、筑後に引き返した。
それから、天文22年(1553年)7月25日、隆信は鹿江遠江守兼明の船で、再び一ツ木を出航した。
そしてついにこの地、乾堂(現・川副町犬井道戸ヶ里)の燈堂(あかしどう)に上陸したのであった。


龍造寺隆信は、追われた水ヶ江城を奪還すべく筑後一ツ木(大川市一木)より船で発ち、肥前へと向かった。
しかし暴風雨にあい、柳津留(現・小城市牛津町砥川)の入江に漂着した。ところが、その地は杵島郡内で有馬氏が押収した土地で、有馬氏家来が討伐に来たので隆信は、筑後に引き返した。
それから、天文22年(1553年)7月25日、隆信は鹿江遠江守兼明の船で、再び一ツ木を出航した。
そしてついにこの地、乾堂(現・川副町犬井道戸ヶ里)の燈堂(あかしどう)に上陸したのであった。