
龍泰寺
龍泰寺は、永禄8年(1565年)、龍造寺隆信が「龍造寺家の安泰」を願って建立しました。 後に龍造寺隆信が、天正12年(1584年)に島原…
記録を読むカテゴリーや言葉から、
読みたい記録へ。

龍泰寺は、永禄8年(1565年)、龍造寺隆信が「龍造寺家の安泰」を願って建立しました。 後に龍造寺隆信が、天正12年(1584年)に島原…
記録を読む
宝琳院の境内には、龍造寺一族の墓所があります。 龍造寺隆信は、宝琳院四世で「圓月」と称しました。
記録を読む
龍造寺隆信は、水ヶ江龍造寺家に生まれ、のちに龍造寺宗家(村中龍造寺)第19代となりました。 幼児期にここ、「宝琳院」(佐賀市・鬼丸町)に…
記録を読む
龍造寺氏の家紋は、「日足」「剣花菱」「杏葉」の三つが知られています。 鍋島氏が龍造寺氏を継承したことでもあり、おそらく龍造寺氏及び鍋島氏…
記録を読む
和同寺の口伝に、龍造寺隆信の御鬮がありこれも特別に見せて頂きました。 沖田畷の戦いに挑む前に龍造寺隆信は、ここ和同寺にて御鬮を引きます。…
記録を読む
「法雲院殿前五州太守泰巌宗龍大居士」 和銅寺・本殿に祀られている龍造寺隆信の大位牌です。住職様の特別の計らいで、撮影を許可していただきま…
記録を読む
諫早市高来町の和銅寺にある龍造寺隆信の墓碑です。 天正12年(1584年)、島原の有馬晴信を攻めた沖田畷の戦いで、龍造寺隆信は戦死しまし…
記録を読む
島原城の裏手にある護国寺・七面山の頂上に、龍造寺隆信の墓碑があります。 沖田畷の戦いで討ち取られた隆信公は、地元の僧によって弔われたと云…
記録を読む
沖田畷・二本木神社は、龍造寺隆信公を失った家臣の内、この地に住み着いた人達が戦死を悼み、その霊を慰めようと小祠を建てたのが始まりと云われ…
記録を読む
天正12年(1584年)、龍造寺氏から有馬晴信が離反すると、島原半島における龍造寺方の諸豪族が動揺し始めます。 このため、龍造寺隆信は自…
記録を読む
天正12年(1584年)、龍造寺隆信は有馬氏を討つために、自らも島原への出陣を決意した。 須古城で止めに入った鍋島直茂の言を聞かず、同年…
記録を読む
龍造寺隆信は、有馬氏に応じていた須古高城の城主・平井経治を討つことにした。永禄6年(1563年)年から天正2年(1574年)にかけて12…
記録を読む郷土史探訪家・吉松潤二による、写真・資料・日々の探訪の記録です。記事の投稿日と、写真や資料が扱う年代は、それぞれ分けて記載しています。
資料・写真の出典や補足は、各記事の末尾からご確認いただけます。