

湛然和尚は、山本常朝が薫陶を受けた禅僧です。肥前国で生まれ、三河国で修行し同国・長円寺住職の月舟の推挙で高伝寺の第11代住職となりました。正しくは、湛然梁重といいます。
寛文9年(1669)、円蔵院住職・村了が同院を曹洞宗12ヶ寺への昇格を、3第藩主・鍋島光茂に直訴して斬罪に処せられました。
この時、湛然和尚は、村了の助命を嘆願しましたが、聞き入れられず憤然と高伝寺を去りました。そして知友、深江信渓が再興した通天寺に身を寄せました。
通天寺・本堂には、湛然和尚の見事な彩色坐像が祭ってあります。




