




石田一鼎は、寛永6年(1629)に生まれ、幼名兵を三郎、通称神左衛門のち安左衛門と改ます。
神儒仏三道に通じ、17歳にして藩主・鍋島勝茂に近侍し、29歳の時2代藩主・光茂のお側相談役としても仕えました。
しかし、寛文2年(1662)一鼎が34歳のとき、光茂の怒りを買い、禄を召し上げられ小城藩にお預けの身となります。7年後許されて佐賀郡平野に帰り、のち同郡下田(大和町梅野)に閑居しました。、そして、延宝5(1677)剃髪して一鼎と号しました。
葉隠の口述者・山本常朝が一鼎と交わりがあり湛然和尚と共に、山本常朝にとって人間形成の上に大きな影響を与えました。
65歳で没した一鼎の墓は、閑居の地、下田とここ佐賀市与賀町の水月寺にあります。




