


須古城址のすぐ近くに、「乱れ橋」という名前の橋がある。里の人によると、龍造寺隆信の須古城攻めにより多くの犠牲者が出たため、この橋を「乱れ橋」と呼ぶと言われている。
ただ、傍らの石碑に「天明六年丙午秋彼岸建立」とある。この天明6年(1786年)には、大洪水との記録がある年でもあり、龍造寺隆信の天正年間より約200年ほど時代が下るため、川の氾濫(乱れ)による犠牲者を追悼した祠が建立されたとも考えられる。



須古城址のすぐ近くに、「乱れ橋」という名前の橋がある。里の人によると、龍造寺隆信の須古城攻めにより多くの犠牲者が出たため、この橋を「乱れ橋」と呼ぶと言われている。
ただ、傍らの石碑に「天明六年丙午秋彼岸建立」とある。この天明6年(1786年)には、大洪水との記録がある年でもあり、龍造寺隆信の天正年間より約200年ほど時代が下るため、川の氾濫(乱れ)による犠牲者を追悼した祠が建立されたとも考えられる。