


佐賀市伊勢町・真覚寺には、「初代・肥前国忠吉」の墓がある。
初代忠吉は、元亀3年(1572年)高木村長瀬に生まれ、橋本新左衛門と称した。慶長元年(1596年)上京して、名工・埋忠明寿の門下となり刀工としての技を磨き、帰国後、現・長瀬町に居を移し、佐賀藩の抱刀工となった。
境内には、日本刀のさい焼きに使用した「水舟」や、「とぎ石」なども現存する。



佐賀市伊勢町・真覚寺には、「初代・肥前国忠吉」の墓がある。
初代忠吉は、元亀3年(1572年)高木村長瀬に生まれ、橋本新左衛門と称した。慶長元年(1596年)上京して、名工・埋忠明寿の門下となり刀工としての技を磨き、帰国後、現・長瀬町に居を移し、佐賀藩の抱刀工となった。
境内には、日本刀のさい焼きに使用した「水舟」や、「とぎ石」なども現存する。