


田中城(和仁城)は、廣瀬文書の暦応3年(1340)の項に出てくる「鰐城」にあたると考えられているが、いつ築城されたかははっきりせず、落城する天正15年(1587)まで250年以上は続いたと思われる和仁一族の居城である。
和仁氏はもともと菊池氏の家臣で、天正年間の始めには大友氏に属して龍造寺氏と戦ったり、後には龍造寺氏や島津氏などに属して、戦国を生きぬいてきた。
天正15年(1587)、肥後の国衆一揆の戦いで豊臣秀吉は佐々成政、鍋島直茂、立花宗茂などの諸将に命じ田中城を攻めさせ、これを迎え討ったのが城主の和仁勘解由親実、弾正親範、人鬼親宗の三兄弟であった。




