

享禄年間(1528~1532)、「太田資元」が関東から肥前へ下向して在地領主として勢力を拡げました。資元は、太田道灌四代の後裔と云われます。
龍造寺家兼に仕えて戦功をあげた太田氏は、龍造寺滅亡後は鍋島氏に従い、江戸時代を通して太田の地を領し国家老の要職を務めました。今でも太田神社の社殿には、龍造寺家紋の十二日足紋が残ります。


享禄年間(1528~1532)、「太田資元」が関東から肥前へ下向して在地領主として勢力を拡げました。資元は、太田道灌四代の後裔と云われます。
龍造寺家兼に仕えて戦功をあげた太田氏は、龍造寺滅亡後は鍋島氏に従い、江戸時代を通して太田の地を領し国家老の要職を務めました。今でも太田神社の社殿には、龍造寺家紋の十二日足紋が残ります。