
寛文9年(1669年)湛然和尚は、円蔵院住職の直訴の罪による死罪助命を二代藩主・鍋島光茂に願い出ました。
しかし、願いは退けられ、高伝寺十一代の栄職を捨てて出国しようとここ大和町・三反田まで来ました。
そして、上使の再三の説得でこの地にとどまる事にしました。

寛文9年(1669年)湛然和尚は、円蔵院住職の直訴の罪による死罪助命を二代藩主・鍋島光茂に願い出ました。
しかし、願いは退けられ、高伝寺十一代の栄職を捨てて出国しようとここ大和町・三反田まで来ました。
そして、上使の再三の説得でこの地にとどまる事にしました。