


諫早市高来町の和銅寺にある龍造寺隆信の墓碑です。
天正12年(1584年)、島原の有馬晴信を攻めた沖田畷の戦いで、龍造寺隆信は戦死しました。佐賀龍泰寺の大圭和尚は、沖田畷に駆けつけ、遺体を収容し神代に運び船で湯江に渡ると、ここ和銅寺で荼毘に付しました。
その後明治2年(1869年)、龍造寺四家の一つである諌早氏の第16代当主・諌早一学が龍造寺隆信の墓碑を建立しました。それがこの墓碑です。



諫早市高来町の和銅寺にある龍造寺隆信の墓碑です。
天正12年(1584年)、島原の有馬晴信を攻めた沖田畷の戦いで、龍造寺隆信は戦死しました。佐賀龍泰寺の大圭和尚は、沖田畷に駆けつけ、遺体を収容し神代に運び船で湯江に渡ると、ここ和銅寺で荼毘に付しました。
その後明治2年(1869年)、龍造寺四家の一つである諌早氏の第16代当主・諌早一学が龍造寺隆信の墓碑を建立しました。それがこの墓碑です。