



佐賀藩は、嘉永4年(1851)長崎警備の為、四郎島に大砲を設置する台場建設に着工します。外国船の侵入を長崎湾口で阻止する計画です。
まず、神ノ島と四郎島の間220メートルを堤防で結ぶ護岸工事に乗り出します。潮流が強く、捨て石が流され苦心の結果、木枠に石を詰めて沈めると流れないことを発見しました。さらに四郎島を切り開いて石垣を築きました。
現地には、今でも石垣や階段、さらには石切場などが残ります。
(※注意・・・現在、四郎島は私有地なので、無許可の立入りは、ご遠慮ください。)




佐賀藩は、嘉永4年(1851)長崎警備の為、四郎島に大砲を設置する台場建設に着工します。外国船の侵入を長崎湾口で阻止する計画です。
まず、神ノ島と四郎島の間220メートルを堤防で結ぶ護岸工事に乗り出します。潮流が強く、捨て石が流され苦心の結果、木枠に石を詰めて沈めると流れないことを発見しました。さらに四郎島を切り開いて石垣を築きました。
現地には、今でも石垣や階段、さらには石切場などが残ります。
(※注意・・・現在、四郎島は私有地なので、無許可の立入りは、ご遠慮ください。)