
玖島城・本丸跡
玖島城には天守閣はなく、平屋の御殿でした。本丸の敷地の内、西半分一帯には大広間などの政庁があり、東半分には藩主の居館がありました。
記録を読むカテゴリーや言葉から、
読みたい記録へ。

玖島城には天守閣はなく、平屋の御殿でした。本丸の敷地の内、西半分一帯には大広間などの政庁があり、東半分には藩主の居館がありました。
記録を読む
玖島城には、城の守りを固めるために曲がった角を造る「桝形」跡があります。敵が一気に攻めて来られない様な防御線になっています。
記録を読む
玖島城・大手門跡の周辺は、強固な石垣で守られています。奥には、本丸跡や大村神社があります。
記録を読む
玖島城は、慶長4年(1599年)、第19代当主大村喜前(よしあき)が築城してから、第30代純熙(すみひろ)に至る幕末までの12代270余…
記録を読む
永昌宿の北方にある鈴田峠を越えると鈴田一里塚址に着きます。このあたりは、すでに車道になっていますが何とか旧街道の表示もしてあります。 岩…
記録を読む
本経寺大村家墓所には、大村藩・歴代藩主の墓がずらりと並びます。
記録を読む
大村藩の城下町として栄えた大村は、長崎街道の宿場町でした。現在の水主町2丁目からアーケードを通って、鶴亀橋の手前までが長崎街道大村宿にあ…
記録を読む
本経寺は、初代大村藩主・大村喜前によって慶長13年(1608年)に建てられた日蓮宗の寺院です。現在でも本堂をはじめ江戸後期の建物が建ち、…
記録を読む
大村家墓所は、本経寺本堂に隣接する場所にあります。そこには大きく様々な形の墓が建ち並び、大名墓所として荘厳な姿を見ることができます。これ…
記録を読む郷土史探訪家・吉松潤二による、写真・資料・日々の探訪の記録です。記事の投稿日と、写真や資料が扱う年代は、それぞれ分けて記載しています。
資料・写真の出典や補足は、各記事の末尾からご確認いただけます。