
鍋島家発祥の地
山城国・長岡経秀は京都から肥前に下り、鍋島の地に移り住み、やがて鍋島姓を名乗りました。 その後、ここから本庄へと移り、鍋島家は栄えていき…
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山城国・長岡経秀は京都から肥前に下り、鍋島の地に移り住み、やがて鍋島姓を名乗りました。 その後、ここから本庄へと移り、鍋島家は栄えていき…
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佐賀藩・藩祖鍋島直茂は、ここ本庄館跡で生まれました。 鍋島直茂は、元亀元年(1570年)に豊後・大友軍を今山の陣で急襲し、討ち破りました…
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日峯山と号し、曹洞禅宗 宗智寺と称する。佐賀市多布施にある。 元和4年(1618年)、初代藩主・鍋島勝茂公が父・直茂公の菩提を弔うために…
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<宋智寺境内にあった鍋島直茂像> 「今山の戦い」を前にして龍造寺隆信を囲んだ衆議は、意見がまとまりませんでした。…
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鍋島直茂公・「今山の陣」の雄姿を表した壮大な像は、宋智寺にありましたが現在は、その台座が残るだけです。 この巨大な岩魂からは、壮大な鍋島…
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元亀元年(1570年)、「今山の陣」において夜襲をかけた鍋島直茂らは、大友軍の陣屋を攻めた。この戦いにおいて成松信勝は、敵地本陣にて総大…
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鍋島家軍用の旗竿は、鍋島村・勝楽寺の竹を切るという故事が継承されました。そして、竹林は今でもその地にかすかに現存しています。
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道祖神社を出た鍋島直茂らは、城下西北の新庄に進み鍋島村・勝楽寺で竹を切って旗竿にしたと云われる。 のちになってからも鍋島家軍用の旗竿は、…
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元亀元年(1570年)、肥前に攻め入った大友軍に夜襲をかけるために、鍋島直茂と成松信勝らはわずか17騎で佐賀城を発った。 十死一生の奇襲…
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急な斜面を登りつめるた今山山腹に古戦場跡の記念碑が建っています。 佐賀平野が一望でき、戦略上の重要な位置だった事が分ります。 ここには、…
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元亀元年(1570年)、豊後の大友宗麟が肥前に攻め入りました。 宗麟の息子・大友八郎親秀は、三万の軍勢で今山(佐賀市大和町)に陣取しまし…
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佐賀藩主・鍋島氏一族の定紋は、宗家は葉脈がある「鍋島杏葉紋」を正式な紋としていました。その葉の枚数は、片方で11枚です。 支藩主・分家筋…
記録を読む郷土史探訪家・吉松潤二による、写真・資料・日々の探訪の記録です。記事の投稿日と、写真や資料が扱う年代は、それぞれ分けて記載しています。
資料・写真の出典や補足は、各記事の末尾からご確認いただけます。