
長崎街道・三国境
ここは、地名が「三国境」となっていて、昔も今も交通の要衝です。国道3号線を通ると門司から101キロとあります。
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ここは、地名が「三国境」となっていて、昔も今も交通の要衝です。国道3号線を通ると門司から101キロとあります。
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二国境石は、肥前領と筑前国の境界を示すものとして、文化4年(1807)に對馬藩と黒田藩との話し合いにより建てられました。 もともと境を示…
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国道3号線・三国信号の東側に国境石が建っています。福岡藩により天保5年(1834)頃に建てられものと云われています。 高さが3.5メート…
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しばらく行くと、猿田彦大明神の碑が道の左手にあります。町中に建つ石碑としては、かなり大きめです。 猿田彦大明神(サルタヒコ)は、日本神話…
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白坂には、今でも往時の雰囲気が残る通りと町並みがあります。ここは白坂の陣屋跡です。 この辺りには、茶屋があったとの記録もあり、長崎街道を…
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JR鹿児島本線が長崎街道と並行して走っています。そして長崎街道は、線路を横切って北上します。この踏切も長崎街道です。
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田代宿を北に進むと木山口に出ます。このあたりは、正保2年(1645)に新しく木山口町として町並みができました。 さらに、明治の初め長崎街…
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今町は、北の木山口から南の田代間の町並みで、街道沿いに軒を連ねるように家並みが続いていました。 元禄絵図によれば、町立てされたのは承応2…
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追分石より北へ進むと細い旧道が続きます。道沿いには、原田宿への表示があります。
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田代昌町の追分石は、田代宿の東出入口にあたります。ここから日田英彦山道が分かれる道しるべとして建てられました。 石には「左こくら・はかた…
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田代宿・八坂神社の東には、田代代官所の通用門が現存しています。
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昌元寺の入口横に六地蔵菩薩があります。仏教の六道輪廻の思想では、六道のそれぞれを六種の地蔵が救うとする説から生まれたものです。 六道とは…
記録を読む郷土史探訪家・吉松潤二による、写真・資料・日々の探訪の記録です。記事の投稿日と、写真や資料が扱う年代は、それぞれ分けて記載しています。
資料・写真の出典や補足は、各記事の末尾からご確認いただけます。