
肥前浜宿・継場
「継場」は、いろいろな荷物を宿場から宿場へつなぐ場所で、「問屋」とも云われていました。ここの入口には、馬の鼻輪を繋いだ鉄の輪が残っていま…
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「継場」は、いろいろな荷物を宿場から宿場へつなぐ場所で、「問屋」とも云われていました。ここの入口には、馬の鼻輪を繋いだ鉄の輪が残っていま…
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明治時代になると、継場の制度を利用して明治政府によって郵便制度がひかれました。藤津郡内では嬉野局についで、2番目に浜町郵便局が明治18年…
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肥前浜宿は、長崎脇街道の脇街道・浜道多良街道の宿場町として、「浜千軒」と言われるほど賑わっていました。さらに豊かな多良岳の水により酒造業…
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中川橋を渡り、次のしめご橋を過ぎると「肥前浜宿」に着きます。藩政期の浜宿は、海路を通じて人や物資の流通が盛んでした。また、長崎街道の脇街…
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鹿島城下に入り、現在の中川橋です。かつてはもっと上流に土橋であった時もありました。 さらに以前は、中川を飛び石で渡っていたとも云われます…
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浜道・諸国屋さんのすぐ北には、願行寺があります。朱塗りの門構えが、しっかりしています。
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浜道は、鹿島城下に入ると「伊能忠敬御一行宿泊の地」の看板が出ていました。 文化9年(1812年)10月25日に宿泊したと記録が残っている…
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古渡の道脇に小さな地蔵堂があります。往時の人々が川を渡るのを静かに見守ったでしょう。
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深浦峠を下ると、塩田川河畔に出ます。ほどなく行くと往時の古渡付近の護岸になります。今では、その名を残す古渡橋がかかっています。
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浜道・深浦地区の琴平神社です。金比羅さんと同じく海上交通の守り神として祭られています。
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彦嶋神社を過ぎると、浜道は緩やかな坂になり、やがて深浦峠へと昇ります。ここを越えると有明海が見えてきます。
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海童神社の大楠は、樹齢600年と云われいて佐賀県天然記然物に指定されています。
記録を読む郷土史探訪家・吉松潤二による、写真・資料・日々の探訪の記録です。記事の投稿日と、写真や資料が扱う年代は、それぞれ分けて記載しています。
資料・写真の出典や補足は、各記事の末尾からご確認いただけます。