
思案橋遺跡
江戸時代は上今町にあたるこの地は、明治・大正時代頃まで商家が建ち並び、陸路の長崎街道と水路の紺屋川による人や物が行きかう賑やかな場所でし…
記録を読むカテゴリーや言葉から、
読みたい記録へ。

江戸時代は上今町にあたるこの地は、明治・大正時代頃まで商家が建ち並び、陸路の長崎街道と水路の紺屋川による人や物が行きかう賑やかな場所でし…
記録を読む
思案橋は、佐賀城下東入口の牛嶋口から西へ約350メートルの所に架かる橋です。 城下を東西に延びる長崎街道と紺屋川が交差する地点に架けられ…
記録を読む
江戸時代、長崎街道で東から佐賀城下へ入るには、「構口番所」を通る必要がありました。 慶長13年(1608年)、佐賀城下が構築された際に、…
記録を読む
佐賀城下の東構口を、境原宿へ向かって進むと、ほどなくしてかつての一里塚があった場所があります。今は当時の名前を残す「一里塚橋」が国道に架…
記録を読む
佐賀宿・柳町の長崎街道沿いにある八坂神社境内に栄える大楠です。文政6年(1823年)には、この前をシーボルト一行が江戸参府のために通りま…
記録を読む
以前は、ここに「得仏橋」という名の橋が架かっていました。川向いの久保田町・草木田に寺院が二、三ありこの部落は「得仏」とも呼ばれています。…
記録を読む
写真上は、周辺が整備される前 写真下は、森林公園が造成された後 ここ、嘉瀬川河畔には佐賀藩の…
記録を読む
明和3年(1767年)、同寺の日潮上人によって石碑に建て代えられた「千人塚」は、妙福寺に移されています。 佐賀藩・刑場の官吏は、ここ「妙…
記録を読む
長崎街道を更に西へ進み嘉瀬川を渡る頃、傍らにはかつて佐賀藩の刑場がありました。 元禄時代、嘉瀬津・妙福寺19世、日仙上人が刑死者の菩提を…
記録を読む
俊寛は、平安時代後期の真言宗の僧で俊寛僧都(しゅんかんそうず)などとも呼ばれます。 後白河法皇の側近で法勝寺執行の地位にありましたが、治…
記録を読む
嘉瀬・別れの松から長崎街道は、旧道へと入ります。そして700メートルほど西へ進むとふたたび国道34号線と合流します。 現地には、往時を偲…
記録を読む
嘉瀬扇町・苗運寺の境内には、元禄6年(1693年)に「扇町毛氈」を始めた「古賀清右衛門」の墓と、「鍋島段通」顕彰碑があります。 「鍋島段…
記録を読む郷土史探訪家・吉松潤二による、写真・資料・日々の探訪の記録です。記事の投稿日と、写真や資料が扱う年代は、それぞれ分けて記載しています。
資料・写真の出典や補足は、各記事の末尾からご確認いただけます。