
台場探訪・四郎ケ島その3
チャーター船は、出航して15分ほどで四郎ケ島に近づきました。 島の南には今でも石垣が原型をとどめています。少しながら崩壊している場所もあ…
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写真と資料、日々の探訪から、この土地の物語を綴ります。
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チャーター船は、出航して15分ほどで四郎ケ島に近づきました。 島の南には今でも石垣が原型をとどめています。少しながら崩壊している場所もあ…
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チャーター船は、港を出ると勢いよく長崎湾内を南下します。 船の速度は意外と速いものです。
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台場探訪で、長崎・四郎ヶ島を訪ねます。 今回は、船で海から四郎ヶ島を目指します。出発は、長崎湾大波止ターミナルからクルージング船に乗りま…
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寛政年間の「川副東郷大田村絵図」によると、田中城は太田神社南の宝光院付近に見られ、集落全体が溝で防備されている環溝集落を成しています。集…
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太田道灌の子孫(四代目の孫)である太田資元は、享禄年間(1528~1531)に肥前国河副庄太田を領したと云われます。その時代、ここ肥前地…
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城山の麓にある「種福寺」は、江上氏の菩提寺でした。参道脇に城址の表示が建っています。
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勢福寺城は、別名「雲上の城」とも呼ばれていました。また、今でも空堀の跡が確認できます。
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正平8年(1353年)、九州探題・一色直氏が築城されたとされ、菊池氏、少弐氏、大友氏、大内氏、龍造寺氏と主が代わり、最後は江上氏の居城と…
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姉川城址の周囲には、「下馬口跡」や「構口跡」の名残りもあります。
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現地案内板の航空写真を見ると、周囲がクリークをうまく利用した掘割になっているのが、よく分かります。 掘割中央のこんもりした土地に、「姉川…
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姉川城は、正平15年(1360) 頃に菊池武安によって築かれました。武安は、肥後菊池氏の一族で仁比山城を本城に姉川城、本告牟田城、横大路…
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神代長良は、上流の白鬚神社に古川新四郎・兄弟らの軍勢を集結させました。そして足軽14、5人を農民に化けさせ八つ溝辺りで待ち構えました。…
記録を読む郷土史探訪家・吉松潤二による、写真・資料・日々の探訪の記録です。記事の投稿日と、写真や資料が扱う年代は、それぞれ分けて記載しています。
資料・写真の出典や補足は、各記事の末尾からご確認いただけます。