
◆龍造寺隆信の首塚
天正12年(1584年)、「沖田畷の戦い」で竜造寺隆信は討ち取られ、その首は佐敷にいた島津義久のもとに送られた。その後、家臣・鍋島直茂の…
記録を読む佐賀を歩く。
時を、たどる。
街の記憶と、人の営みをたどる。
写真と資料、日々の探訪から、この土地の物語を綴ります。
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天正12年(1584年)、「沖田畷の戦い」で竜造寺隆信は討ち取られ、その首は佐敷にいた島津義久のもとに送られた。その後、家臣・鍋島直茂の…
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天文22年7月27日、「威徳寺」に着いた龍造寺隆信の元に、鹿江兼明、石井和泉守、村岡帯刀ら多くの者達が馳せ参じた。 大集結の家臣達と共に…
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「威徳寺」には、龍造寺・家紋の「十二日足」が並んでいる。
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天文22年7月25日、鹿江崎に上陸した龍造寺隆信は、鹿江兼明に案内され7月27日には、ここ「威徳寺」で再挙の旗揚げを行った。 龍造寺隆信…
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龍造寺隆信が、上陸するを水先案内したのは、地元漁夫の園田二郎兵衛と犬井道新兵衛であった。 無事、隆信が上陸した後、二人はこの土地の状況を…
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龍造寺隆信は、追われた水ヶ江城を奪還すべく筑後一ツ木(大川市一木)より船で発ち、肥前へと向かった。 しかし暴風雨にあい、柳津留(現・小城…
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有明町・東明寺というお寺に行きました。場所は、稲佐神社の参道脇です。 そこに、ひっそりと「龍造寺隆信の墓」がありました。
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佐賀市水ヶ江の宗龍寺には、鍋島家・杏葉と龍造寺家・十二日足の紋が、並びます。
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龍造寺氏の軍旗は、「日足」「剣花菱」「杏葉」の三つが知られています。 日足紋は、北九州に多く見受けられる家紋で、むかし肥前・肥後が「日(…
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天正16年(1588年)、龍造寺隆信の菩提寺として鍋島勝茂公が建立しました。佐賀市水ヶ江にあります。 宗龍寺の名は、龍造寺隆信の法名「法…
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龍造寺隆信は、享禄2年(1529年)に龍造寺周家(肥前佐嘉水ヶ江城主)の長男として生まれました。 一代で五州二島(肥前・肥後・筑前・筑後…
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生誕碑の傍らに、龍造寺隆信の胞衣塚(えなつか)があります。
記録を読む郷土史探訪家・吉松潤二による、写真・資料・日々の探訪の記録です。記事の投稿日と、写真や資料が扱う年代は、それぞれ分けて記載しています。
資料・写真の出典や補足は、各記事の末尾からご確認いただけます。