
◆更生橋
NTT佐賀支社の西にかかる橋で、「更生橋」と名前が付いています。 親柱に昭和12年の建造と記されています。 当時、近くに裁判所がありそこ…
記録を読む佐賀を歩く。
時を、たどる。
街の記憶と、人の営みをたどる。
写真と資料、日々の探訪から、この土地の物語を綴ります。
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佐賀の歴史や街の記憶を、気になるテーマからお楽しみください。
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NTT佐賀支社の西にかかる橋で、「更生橋」と名前が付いています。 親柱に昭和12年の建造と記されています。 当時、近くに裁判所がありそこ…
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その名の通り、成章中学校の西門にかかる橋です。 校南橋と同じ、昭和9年の建造で、親柱も同じように重厚な造りです。
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成章中学校の南の十間堀川にかかる橋で、昭和9年竣工の古いものです。 当時、佐賀市立佐賀高等小学校の建設に併せて建造されました。 りっぱな…
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その名は、大財村にあった「大財聖堂」にちなんでいる。 元禄5年(1692)、儒学者・武富廉斎は、私財を投じ邸内に広さ約千四百坪の聖堂を完…
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橋の親柱に、かすかに「明十三橋」と刻んである。明治13年、架設時の佐賀郡長武富良橘の命名による。 佐賀白山の豪商、武富家は明人十三官を祖…
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愛敬町の歓楽街にあって、親柱が特徴的な橋である。 1950年製でコンクリート橋の重厚感を持たせるために、このような概観を施したものと考え…
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向榮橋の次に、十間堀川にかかる橋である。 当初は、恵比寿橋と呼ばれていたが、白山恵比寿班の人達が力を合わせ市の補助などを受けて施工された…
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昔は、「土橋(どばし)」という名で呼ばれていた。 江戸時代には、お城下と唐人町を分ける十間堀川にかかる数少ない橋のひとつであった。
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唐人町土橋横から県庁通りに入る場所に架かる橋です。 明治35年、明治天皇統監の陸軍大演習が熊本地方で行われました。 その帰途、天皇陛下を…
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十間堀川水系には、楠公橋がふたつあるがその内のひとつである。 もちろん、楠神社の楠公さんに由来した銘々であるが、こちらの橋は昭和になって…
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「楠公橋」は、勧興公民館の南を流れる十間掘川に架かる橋で、その名はすぐ北側にある楠神社にちなんでつけられたものです。 明治3年の架設で社…
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松原神社東正面の太鼓橋です。 松原神社は、藩祖・鍋島直茂を祀るため、八代藩主・鍋島治茂が、安永元年(1772)に創設しました。社前の石橋…
記録を読む郷土史探訪家・吉松潤二による、写真・資料・日々の探訪の記録です。記事の投稿日と、写真や資料が扱う年代は、それぞれ分けて記載しています。
資料・写真の出典や補足は、各記事の末尾からご確認いただけます。