
長崎街道・昌元寺
昌元寺は、当初、昌元寺町にありましたが、文禄年間頃に現在地に移り良盛大和尚が再興しました。 現在の本堂は文禄年間当時の建物と云われます。…
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昌元寺は、当初、昌元寺町にありましたが、文禄年間頃に現在地に移り良盛大和尚が再興しました。 現在の本堂は文禄年間当時の建物と云われます。…
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八坂神社は、永禄6年(1563)に勧請され当時は「祇園社」と呼ばれていました。 田代町は現在でも「田代五町」と云われ、北から昌元寺町から…
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代官所は、長崎街道に面した田代町・上町にあり「御屋舗」と呼ばれていました。その建設は、元和年間(1615~24)頃と云われています。現在…
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田代宿には、高札場や問屋場などがありました。対馬藩の領地として代官所を中心として栄えた城下町といえるでしょう。
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田代宿外町の天満宮前に、荒木家が勤める本陣がありました。ここには幕府の測量方・伊能忠敬も泊まりました。 近くには、問屋場なども建っていま…
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追分石とは街道が左右に分かれる所に道しるべとして建っている石の事です。 右・西へ戻ると「さか」で左・西へ行くと「くるめ」と彫られています…
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瓜生野町を過ぎると、次は、田代宿に入ります。田代町は、長崎街道の宿場町でると共に、対馬藩田代領の代官所がおかれた城下町でもありました。
記録を読む郷土史探訪家・吉松潤二による、写真・資料・日々の探訪の記録です。記事の投稿日と、写真や資料が扱う年代は、それぞれ分けて記載しています。
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