
成富兵庫茂安
成富兵庫茂安の墓は、江藤新平と同じく佐賀市・本行寺にあります。
記録を読む佐賀を歩く。
時を、たどる。
街の記憶と、人の営みをたどる。
写真と資料、日々の探訪から、この土地の物語を綴ります。
写真をひらく。地名を調べる。記録を読み進める。
佐賀の歴史や街の記憶を、気になるテーマからお楽しみください。
カテゴリーや言葉から、
読みたい記録へ。

成富兵庫茂安の墓は、江藤新平と同じく佐賀市・本行寺にあります。
記録を読む
佐賀市・精町にある山口亮一の生家です。 山口亮一は、明治13年に生まれ、勧興小学校より佐賀中学校へ進み、その後、岡田三郎助らの教えを受け…
記録を読む
山口 亮一 明治13年に生まれ、勧興小学校より佐賀中学校へ進みました。 明治39年、東京美術学校・西洋画科に入学し、岡田三郎助らの教えを…
記録を読む
大財聖堂は、元禄5年(1692)、城下の大財村(現・六反田付近)に武富廉斎が建立した聖堂です。 その建立は、多久聖廟より先立つこと12年…
記録を読む
武富廉斎は、武富一族の始祖・明人十三官の曾孫にあたり、その名は咸亮と呼び、寛永14年(1637)、白山町に生まれました。幼い頃に漢学を学…
記録を読む
武富時敏の落款です。彼は、国会議員の中でも稀代の書道家でした。 なお、落款とは、「落成款識《らくせい-かんし》」の略で、書画が完成した時…
記録を読む
安政2年(1855)、佐賀藩士武富良橘の長男として生まれました。 武富一族の始祖・明人十三官より十世にあたり、明治14年、九州改進党を結…
記録を読む
<北堀端時代の勧興小学校> 佐藤尚武著「回顧八十年」より 『明治21年、私は父が佐賀…
記録を読む
佐藤尚武は、昭和26年に母校・勧興小学校を訪問し、この「勧功興学」の書を残します。 現在、この書は勧興小学校の校長室に掲げてあります。
記録を読む
昭和8年2月24日、国際連盟特別総会においてリットン報告書が採決され、賛成42、反対1(日本)、棄権1(シャム=タイ)の賛成多数で可決さ…
記録を読む
明治20年、佐藤尚武は兄と共に勧興小学校に入学します。 当時の勧興小学校は、地元佐賀ではまだ武士の子供しか入学できませんでしたが、 佐藤…
記録を読む
佐藤尚武の父・田中坤六は、青森県弘前出身の津軽藩士でした。 警察官であった父が佐賀県警部長として佐賀へ赴任したのに伴い、佐藤尚武も佐賀へ…
記録を読む郷土史探訪家・吉松潤二による、写真・資料・日々の探訪の記録です。記事の投稿日と、写真や資料が扱う年代は、それぞれ分けて記載しています。
資料・写真の出典や補足は、各記事の末尾からご確認いただけます。