
牛の鼻町
新町の東寄りのこの一帯を、昔は「牛の鼻町」と呼びました。 平安時代の末、若木町に館を構えていた源為朝は、領主助明に頼まれて有田の白川に出…
記録を読む佐賀を歩く。
時を、たどる。
街の記憶と、人の営みをたどる。
写真と資料、日々の探訪から、この土地の物語を綴ります。
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新町の東寄りのこの一帯を、昔は「牛の鼻町」と呼びました。 平安時代の末、若木町に館を構えていた源為朝は、領主助明に頼まれて有田の白川に出…
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敵が攻めてきた場合、その勢力を防ぐための戦略道路として作られたと云われています。 さらに、この一帯を「十間堀」といい防火用水を貯めるため…
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柄崎宿の西の入口にあたる場所に、日蓮宗・円満寺があります。
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国道35号線沿いの道を東へ進むと下西山地区へ着きました。いよいよここから、柄崎宿(現・武雄)です。
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渕の尾水源地を下ると、上西山の平坦な地に出ます。そこには、湯の谷石橋が架かっています。 この橋を渡り、東へ進むと柄崎宿です。
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渕の尾峠を越えると、渕の尾水源地に出ます。ここから本来の長崎街道は、残念ながら湖水の中を進むので歩く事はできません。 今となっては水源地…
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緩やかな坂道を登ると、渕の尾峠です。静かな峠越えの道は、今にもかつて旅人の足音が聞こえてきそうです。
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長崎街道は、老松社を過ぎると渕の尾峠を越えるのため山中へ進みます。 このあたりは、今でも往時の雰囲気が残っています。
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ここ武雄市東川登町では、470年続く伝統行事「なます祭り」が行われています。 享禄3年(1530)、島原の武将・有馬仙岩が、後藤純明の立…
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現在の越川橋跡です。残念ながら当時の面影はありませんが、新しい鉄骨の越川橋が架かっています。
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かつての長崎街道に架かっていた、「越川橋」は現在、長崎自動車道・東川登サービスエリア内に移設してあります。堅牢な石橋は、長い時間の風雪に…
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社伝によると、元亨元年(1321)の大干ばつの折、時の領主武雄第十一代の後藤光明が武雄神社・黒髪神社に命じて雨乞いの祈祷をしましたが雨雲…
記録を読む郷土史探訪家・吉松潤二による、写真・資料・日々の探訪の記録です。記事の投稿日と、写真や資料が扱う年代は、それぞれ分けて記載しています。
資料・写真の出典や補足は、各記事の末尾からご確認いただけます。