
大根地神社登山口
国道200号線の冷水峠すぐ下に、大根地神社の看板があり登山口となっています。鳥居をくぐると、今では九州自然歩道となっているかつての長崎街…
記録を読む佐賀を歩く。
時を、たどる。
街の記憶と、人の営みをたどる。
写真と資料、日々の探訪から、この土地の物語を綴ります。
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佐賀の歴史や街の記憶を、気になるテーマからお楽しみください。
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国道200号線の冷水峠すぐ下に、大根地神社の看板があり登山口となっています。鳥居をくぐると、今では九州自然歩道となっているかつての長崎街…
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大庄屋・山田家を過ぎると、いよいよ冷水峠越えです。長崎街道で一番の難所・冷水峠は、九州の箱根とも呼ばれました。 今は国道になっていますが…
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「隔林亭」は、弘化3年(1846)に造られた十代藩主・鍋島直正公の別邸の事です。 「神野のお茶屋」と呼ばれる池泉回遊式の日本庭園の中ノ島…
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十代藩主・鍋島直正の別荘で弘化3年(1846)に造成され、「神野のお茶屋」と呼ばれていました。 時代は下って、大正12年に公園として市民…
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ここに、かつて「木元神社」と呼ばれる社がありました。現在は、刻名がある小さな祠があるだけです。
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「十三塚」は、ここ北方町一帯を支配していた橘渋江氏の終焉の地です。 かつて龍造寺氏との戦いに敗れた橘渋江一族百余名が、ここ十三塚で亡くな…
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街道沿いに一里松跡があります。今は残念ながらその松はありませんが、お地蔵さんを祀った祠が建っています。
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追分とは、本街道からの分岐の事をいいそこで発達した集落名によく使われます。 北方宿の追分は、長崎街道の塩田道と伊万里・平戸道との分岐点に…
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赤坂砦を過ぎると、焼米龍王池の西岸に海童神社が建っています。またの名を海見社と呼ばれ、海神龍王を祀ってあります。
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大町宿を過ぎ、北方宿に入ると赤坂砦と呼ばれる土地があります。 福母神社に由緒記によると、かつてこの地で恋に破れた女性が焼死しました。そし…
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福母地蔵が彫られたのは、南北朝時代中期の応安6年(1373年)頃と云われています。 北九州各地に残る多くの地蔵板碑は、いずれも南北朝時代…
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正徳3年(1714年)、鍋島勝茂公が拝殿を再興し、その後、時の藩主が神殿・拝殿の改築、修復を行いました。
記録を読む郷土史探訪家・吉松潤二による、写真・資料・日々の探訪の記録です。記事の投稿日と、写真や資料が扱う年代は、それぞれ分けて記載しています。
資料・写真の出典や補足は、各記事の末尾からご確認いただけます。