
◆武富い南⑧
武富い南は、始祖十三官から九世にあたり、文化3年(1806)、佐賀白山町に生まれた。 初め中村嘉田に学び、後に江戸で古賀侗庵の門に入り博…
記録を読む佐賀を歩く。
時を、たどる。
街の記憶と、人の営みをたどる。
写真と資料、日々の探訪から、この土地の物語を綴ります。
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佐賀の歴史や街の記憶を、気になるテーマからお楽しみください。
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武富い南は、始祖十三官から九世にあたり、文化3年(1806)、佐賀白山町に生まれた。 初め中村嘉田に学び、後に江戸で古賀侗庵の門に入り博…
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武富常古・寿珍(両親)の墓は、佐賀市呉服元町・称念寺に建っており高さ2.5メートル余りの巨大なものである。 その文字は、「やげん彫り」と…
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武富廉斎は、たいへんな親孝行であった。 当時、「肥前の三名物」として「長崎の南蛮船」、「川上の大楠」、そして「武富廉斎の親孝行」と褒め称…
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武富廉斎自筆による釈菜本は、今でも多久市郷土資料館に現存する。 当時の釈菜本は、廉斎が記したものでこれを元に「多久聖廟」の祭事が執り行わ…
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聖堂内にあった「大宝聖林碑」は、六尺余りの自然石で霊亀の上に立ち長文の自選碑文が刻んであり、現在は多久市の西渓公園に保存してある。 台座…
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武富廉斎は、「明人十三官」曾孫にあたりその名は咸亮と呼び、寛永14年(1637)、白山町に生まれる。幼い頃に漢学を学び、若くして京都に赴…
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元禄5年(1692)、城下の大財村(現・六反田付近)に武富廉斎が建立した聖堂である。 その建立は、多久聖廟より先立つこと12年早く、両聖…
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永禄年間(1560年頃)に、筑後・柳川藩に小柳瀬兵衛という巨商がいて毎年、南京に行き貿易をしていた。ある時、帰国のため出帆しようとした折…
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佐賀市・東魚町の「ゆめこい恵比須」を北へ入る狭い通りを「中島通り」と呼びます。 最近、入手した昭和初期(昭和10年頃)の地図にその名前が…
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「鈴蘭橋」を奥へ入ると「すずらん通り」です。 夕方になると、小料理屋さんからの美味しい香りが通り一帯に広がります。
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昭和8年にこの付近で大火があり、多くの商店や住宅が消失しました。 その後、人々の努力により復興したので「復興通り」と言うようになりました…
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昭和10年に、松原神社や県庁前を東西に「貫通」する通りが完成しました。 当時は、こんな広い道を作ってどうるのかという声もありましたが、今…
記録を読む郷土史探訪家・吉松潤二による、写真・資料・日々の探訪の記録です。記事の投稿日と、写真や資料が扱う年代は、それぞれ分けて記載しています。
資料・写真の出典や補足は、各記事の末尾からご確認いただけます。