
義祭同盟連名帳・その1
嘉永3年(1850)から明治13年(1880)まで結成されていた義祭同盟の参加名簿。年毎の楠公祭の参列者が一覧できる。 連名帳は元来、綴…
記録を読む佐賀を歩く。
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嘉永3年(1850)から明治13年(1880)まで結成されていた義祭同盟の参加名簿。年毎の楠公祭の参列者が一覧できる。 連名帳は元来、綴…
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平成11年(1999)には、枝吉神陽ならびに佐賀の維新の志士等の功績を称え、義祭同盟結成百五十年記念顕彰碑建立期成会を発足し、翌12年(…
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その後昭和3年(1928)、龍造寺八幡宮の境内拡張により、楠神社を現在地の八幡宮西隣に移して新たに拝殿を造営、昭和7年(1932)に完成…
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楠公父子御尊像を祀った本地堂は、明治維新の後、佐賀神道事務分局預かりとなり、義祭同盟も毎年ではないが明治13年(1880)まで続いた。…
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天和2年(1682)信溪没後、その次男元久が祭式を嗣いだが、三代藩主鍋島綱茂の代に浪人となり、その後祭式は途絶、天明3年(1783)永…
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楠神社の創立は、幕末の安政3年(1856年)である。 その由緒は江戸時代初期、二代藩主鍋島光茂の代に佐賀藩士深江信溪、楠公への景仰篤かっ…
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県庁前のお堀の南取水溝にかかる橋です。きちんと親柱があり、「香楠橋」と刻んであります。 建造年は、1955年で当時のコンクリート製に共通…
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「西峰院西橋」を渡ると次に橋がかかっていてその傍らに、「西峰院橋」という親柱が倒れている。その為、地図を見ると、この橋が「西峰院橋」とい…
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その名の通り、「西峰院」の西にかかる橋である。 普通は、「西○○橋」となる所だが、この場合は特別であろう。
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多布施川にかかる橋で、旧青木橋を昭和38年に架け替えたものである。 青木熊吉(元治2年)1864年~(昭和14年)1939年は、佐賀本藩…
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「大島橋」は、佐賀市立成章中学校の北門西に架かる橋です。 親柱の造りは、同年代(1950年)の六反田橋に似ています。
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唐人神社西側にある橋で架設は、昭和十年とかなり古い橋です。 昭和9年には、成章中学校の「校南橋」なども建設されていて全体的な造りも同じよ…
記録を読む郷土史探訪家・吉松潤二による、写真・資料・日々の探訪の記録です。記事の投稿日と、写真や資料が扱う年代は、それぞれ分けて記載しています。
資料・写真の出典や補足は、各記事の末尾からご確認いただけます。