
◆北面天満宮
長崎街道の道筋にある「北面天満宮」は、昔一国一社の天満宮として肥前の国府鍋島町蛎久に鎮座していたものを、天正3年(1575年)城下町造営…
記録を読む佐賀を歩く。
時を、たどる。
街の記憶と、人の営みをたどる。
写真と資料、日々の探訪から、この土地の物語を綴ります。
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長崎街道の道筋にある「北面天満宮」は、昔一国一社の天満宮として肥前の国府鍋島町蛎久に鎮座していたものを、天正3年(1575年)城下町造営…
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伊勢神社は、天文11年(1542)伊勢神宮から神埼の田手に分霊を勧請したのが始まりで、永禄8年(1565) に鍋島町蛎久へ遷座された後、…
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武富廉斎は、諫早・慶巌寺の僧より筑紫琴を学び、京都の公家より琵琶を伝授された。 廉斎が京に登った時に、その琵琶弾奏が宮中に聞き及び、禁裏…
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願正寺の鐘楼は、佐賀藩三代藩主・鍋島綱茂の時代・元禄8年(1695年)に建立された。そして、佐賀城下に時を告げる鐘としての役目を担った。
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願正寺には、大きな「鍋島花杏葉」紋が飾られている。また山門の両扉には、木彫りの紋章が施してある。
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慶長5年(1600年)、関ケ原合戦の時に佐賀初代藩主・鍋島勝茂は西軍(豊臣方)に加わったが敗北し、進退に窮した。この謝罪について、西本願…
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明治8年(1875年)、紺屋町に現在の佐賀市立循誘小学校の前身である「教正小学校」が創設された。現・循誘校区紺屋町公民館の近くである。…
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「榎橋」は、裏十間堀川・了関橋の北に架かる橋で、かつて橋の際に大きな榎があったと伝わる。 その榎のそばには、恵比須像があり、現在は赤い鳥…
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大正9年架設の「室園橋」は、元の室園遊廓(今宿遊廓)の名残を残す橋である。 今宿・裏十間堀川の南の水路に架かり、その欄干には、太平楼、赤…
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裏十間堀川を下り、今宿にかかる所に「了関橋」がある。 「了関」とは、蓮池藩二代藩主・鍋島直之の法名「要玄院殿了関宗勇大居士」に因んで命名…
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裏十間堀川・「中の橋」岸に「あかかべ」を商標とする中島酒造がある。 その名の通り、蔵の壁が赤く往時の趣きが今に伝わるようである。
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明治34年、架設の橋で当時の石組みを残している貴重な橋である。裏十間堀川の中間にあるので「中の橋」と名付けられた。 橋の東岸には、祠に護…
記録を読む郷土史探訪家・吉松潤二による、写真・資料・日々の探訪の記録です。記事の投稿日と、写真や資料が扱う年代は、それぞれ分けて記載しています。
資料・写真の出典や補足は、各記事の末尾からご確認いただけます。