
材木橋
昭和7年に貫通道路が通った時に、架橋された橋で親柱が実に見事である。 この付近の材木町は、江戸時代から明治にかけた佐賀藩の蔵屋敷や問屋街…
記録を読む佐賀を歩く。
時を、たどる。
街の記憶と、人の営みをたどる。
写真と資料、日々の探訪から、この土地の物語を綴ります。
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佐賀の歴史や街の記憶を、気になるテーマからお楽しみください。
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昭和7年に貫通道路が通った時に、架橋された橋で親柱が実に見事である。 この付近の材木町は、江戸時代から明治にかけた佐賀藩の蔵屋敷や問屋街…
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古義真言宗・清心院は、龍造寺氏ゆかりの寺院で、龍造寺胤家が大財端城の入城に際し、城の鬼門鎮護のため、永正3年(1506)に建立したもので…
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佐賀市・材木町の「野中烏犀圓」は、寛永3年(1626)創業以来、生薬を販売してきた烏犀圓の本舗である。 寛政8年(1796)に烏犀圓とい…
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構口を西へ進むと、有名な「思案橋」を渡る。昭和初頭までは、今宿川は水深2メートル以上あり、多くの船が行きかっていた。そのため、船通りの良…
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江戸時代、長崎街道で東から佐賀城下へ入るには、「構口番所」を通る必要があった。 慶長13年(1608年)、佐賀城下が構築された際に、ここ…
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龍造寺 胤和は、龍造寺氏の第16代当主で第15代当主・龍造寺家和の子として生まれる。父の隠居により早くから家督を継いで第16代当主となっ…
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佐賀市・柳町界隈には煙草製造所が数軒あった。その代表とされるのが、「森永煙草製造所」であり、ここで「富士の煙」が製造された。 「富士の煙…
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佐賀市柳町の八坂神社境内には、樹齢約800年の大楠がある。 この境内では、大隈重信が幼少の頃に遊んでいたと云われる。
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佐賀市・柳町、旧古賀銀行の南側に八坂神社がある。 鍋島勝茂が、江戸時代最初期に、居城の鬼門にあたる場所に、国家泰平を祈願して、京都の八坂…
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昭和24年、お茶の水女子大学が開設されると黒田チカは、同大学理学部教授となる。 その後昭和35年(1960年)、日本婦人科学者の会(現在…
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黒田チカは、明治17年(1884年)佐賀市通小路に生まれる。生家は、旧福田家東隣付近であった。 東北帝国大学にはじめて女子学生として入学…
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鹿子菅原天満宮は、のちのち鍋島歴代藩主の厚い信仰があった。その本殿には、「鍋島・杏葉紋」が刻まれている。
記録を読む郷土史探訪家・吉松潤二による、写真・資料・日々の探訪の記録です。記事の投稿日と、写真や資料が扱う年代は、それぞれ分けて記載しています。
資料・写真の出典や補足は、各記事の末尾からご確認いただけます。