
◆鹿子菅原天満宮
鹿子菅原天満宮(佐賀市本庄町鹿子)は、龍造寺家純(隆信の祖父)が大宰府天満宮の分霊を祭ったものである。 龍造寺隆信が、追われた水ヶ江城を…
記録を読む佐賀を歩く。
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街の記憶と、人の営みをたどる。
写真と資料、日々の探訪から、この土地の物語を綴ります。
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鹿子菅原天満宮(佐賀市本庄町鹿子)は、龍造寺家純(隆信の祖父)が大宰府天満宮の分霊を祭ったものである。 龍造寺隆信が、追われた水ヶ江城を…
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慶誾寺の西南には、「下馬の地蔵様」が現存する。 ここは、慶誾尼の墓前をお参りするために、龍造寺家と鍋島家一門が訪れた際に、下馬した所と伝…
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多久茂文と正室の墓である。 茂文は、佐賀二代藩主・鍋島光茂の三男で、貞亨3年(1686)17歳のとき、多久第四代邑主となった。学問の大切…
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多久安順と正室の墓。多久一族・墓稜の一番奥に位置する。
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慶誾寺境内には、龍造寺長信(隆信・弟)の子で、多久氏と改姓した多久安順とその一族の墓が整然と並ぶ。 なお安順の正室は、鍋島直茂・娘の千鶴…
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慶誾寺の本堂前に、龍造寺隆信・生母である慶誾尼の墓がある。当時としては、92歳というかなりの長寿であった。
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慶誾寺には、龍造寺隆信が柳川城攻略の戦利品として持ち帰った「水手鉢」が現存する。
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慶誾尼は、龍造寺周家の正室となり、龍造寺隆信の生母となるが、後に鍋島清房に嫁して鍋島直茂の義母ともなる。 慶誾尼は、側室を失くし悲嘆して…
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「慶誾寺」(佐賀市本庄町鹿子)は、龍造寺隆信の生母・慶誾尼の菩提寺である。 慶誾尼は、龍造寺宗家16代当主・龍造寺胤和の娘で水ヶ江家・龍…
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「長岡天神」は、鍋島直茂が「御館の森」の西南に建立した天満宮である。 この土地は、鍋島氏が山岡国の旧地を偲んで、長岡荘と称したといわれる…
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鍋島家発祥の地と呼ばれる「御館の森」は、鍋島氏の祖・長岡経秀が山城の国(現京都府)長岡から肥前に下り、居を構えていた所と伝えられる。 そ…
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天正12年(1584年)、龍造寺隆信は有馬氏を討つために、自らも島原への出陣を決意した。 須古城で止めに入った鍋島直茂の言を聞かず、同年…
記録を読む郷土史探訪家・吉松潤二による、写真・資料・日々の探訪の記録です。記事の投稿日と、写真や資料が扱う年代は、それぞれ分けて記載しています。
資料・写真の出典や補足は、各記事の末尾からご確認いただけます。