
中津隈城址 その1
中津隈城は、みやき町中津隈地区北側にある城山とよばれる小高い丘に築かれていた城です。 現在は、宝満神社の境内となっています。 築城年代は…
記録を読む佐賀を歩く。
時を、たどる。
街の記憶と、人の営みをたどる。
写真と資料、日々の探訪から、この土地の物語を綴ります。
写真をひらく。地名を調べる。記録を読み進める。
佐賀の歴史や街の記憶を、気になるテーマからお楽しみください。
カテゴリーや言葉から、
読みたい記録へ。

中津隈城は、みやき町中津隈地区北側にある城山とよばれる小高い丘に築かれていた城です。 現在は、宝満神社の境内となっています。 築城年代は…
記録を読む
西島城は、三根郡代であった横岳氏の居城でした。西乃宮八幡宮の周囲には、掘割が残りますが実際の館址は、少し南に位置していました。 横岳氏は…
記録を読む
享禄年間(1528~1532)、「太田資元」が関東から肥前へ下向して在地領主として勢力を拡げました。資元は、太田道灌四代の後裔と云われま…
記録を読む
太田城は、諸富町大堂太田地区にあったとされ、佐賀平野特有の堀割りに囲まれた城域とされます。 現在は、地区の北端にある太田神社の境内を取り…
記録を読む
「種福寺」の境内に執行 種兼・「城原衆」を記した碑があります。執行 種兼は、肥前国の武将で初め少弐氏に仕え、享禄3年(1530年)「田手…
記録を読む
田中城(和仁城)は、廣瀬文書の暦応3年(1340)の項に出てくる「鰐城」にあたると考えられているが、いつ築城されたかははっきりせず、落城…
記録を読む
熊本県玉名郡の「神尾城」は、南北朝内乱期(1338年~1392年)、征西将軍懐良親王に奉仕していた名和長宗が親王崩御後、菊池家臣となりこ…
記録を読む
創建時期は、明らかでないが南北朝時代には南朝の拠点としてたびたび兵火に見舞われた。その当時は、妻山城と呼ばれていた。 妻山神社の祭神は、…
記録を読む
須古城址のすぐ近くに、「乱れ橋」という名前の橋がある。里の人によると、龍造寺隆信の須古城攻めにより多くの犠牲者が出たため、この橋を「乱れ…
記録を読む
須古城の東に、小さい丘があり支城として要になっていた。山の側面には、石垣の址も見受けられ、頂上には大きな石群が点在する。 また、裾野には…
記録を読む
須古城の西にその支城である杵島城がある。その起源は明らかでないが、須古城、さらには東の男島城と同じ頃に築かれたと思われる。 平井経治が城…
記録を読む
須古城址の高台には、地元の人が「弾よけ岩」と呼ぶ大きな石組もある。また、自然の要害を補強するように「空堀」なども見受けられる。 龍造寺隆…
記録を読む郷土史探訪家・吉松潤二による、写真・資料・日々の探訪の記録です。記事の投稿日と、写真や資料が扱う年代は、それぞれ分けて記載しています。
資料・写真の出典や補足は、各記事の末尾からご確認いただけます。