
長崎街道・正一位橋
若宮神社は、かつて「正一位社」と呼ばれていました。その名残で若宮神社の南正面に、「正一位橋」が架かっています。
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若宮神社は、かつて「正一位社」と呼ばれていました。その名残で若宮神社の南正面に、「正一位橋」が架かっています。
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若宮神社本殿の西側に、かつて藩主がお休みになられた御小休処がありました。またの呼び名を、御成処とも云われました。 残念ながら、昭和20年…
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若宮神社前に建つ肥前鳥居は、町指定の重要文化財になっています。
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境原宿北に、馬の息災祈願の若宮神社があります。かつて、脊振村広滝の鷹取山に鎮座し、仁徳天皇を祀ったのが始まりと伝わる古社です。 そして戦…
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長崎街道・境原宿には、かつて蝋問屋があり問屋の土蔵が並んでいました。また、筑後川河口の寺井津に向かう「蓮池往還」の分岐点でもありました。…
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長崎街道・佐賀宿の構口を東へ一里ほど進むと、国境石が建っています。 この礎石には、[従是東神埼郡・西佐嘉郡]と刻んであります。ここからま…
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元禄15年(1702)本堂建立の際に造られた、願正寺の二十四孝欄間です。多久茂文が寄進したと云われています。 二十四孝とは、中国の元の時…
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呉服町・願正寺には、歴代藩主が訪れていました。それがいわゆる「お殿様の間」です。 あまり広くはありませんが、当時は願正寺内部の人達でさえ…
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諫早市内に入り、永昌宿址に到着しました。ここには、追分石と人馬継立所跡があったと云われます。 長崎街道は、西北に進み、大村宿へ延びます。…
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文政9年(1826)には、シーボルトら一行がここ教宗寺で休息しました。 また、亭保14年(1729)にはベトナムより来た像がここに泊まっ…
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矢上宿番所から南の位置に、長崎奉行や幕府使者が宿泊や休憩をした「本陣跡」がありました。 さらに、少し東に進むと街道沿いに矢上神社がありま…
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長崎街道で、日見宿の次の宿場が矢上宿です。ここは、長崎街道と島原街道との分岐点で交通の要でもありました。 また、日見までは長崎奉行の支配…
記録を読む郷土史探訪家・吉松潤二による、写真・資料・日々の探訪の記録です。記事の投稿日と、写真や資料が扱う年代は、それぞれ分けて記載しています。
資料・写真の出典や補足は、各記事の末尾からご確認いただけます。