
長崎街道・日見宿
日見峠の急坂を下ると、日見宿に着きます。ここは、長崎から2里そして次の矢上まで1里の所です。 往時、この宿場には人夫165人、馬20頭ほ…
記録を読む佐賀を歩く。
時を、たどる。
街の記憶と、人の営みをたどる。
写真と資料、日々の探訪から、この土地の物語を綴ります。
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佐賀の歴史や街の記憶を、気になるテーマからお楽しみください。
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日見峠の急坂を下ると、日見宿に着きます。ここは、長崎から2里そして次の矢上まで1里の所です。 往時、この宿場には人夫165人、馬20頭ほ…
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日見峠を越える道中に、向井去来の句碑が建っています。この芒塚句碑は、天明4年(1784)に長崎の俳人達が建立しました。 向井去来は、江戸…
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蛍茶屋を出て日見峠に向ってつづら折の道を進むと、梨子の木茶屋址に辿り着きます。 現在は、すぐ横に国道が走り日見トンネルがあります。ここか…
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かつて、長崎街道・出発地の歓送迎処としてここに茶屋がありました。 一の瀬口に架かる一の瀬橋附近は、蛍の名所であったようです。 今は、長崎…
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文政9年(1826)1月9日早朝、シーボールト一行約60名は、江戸へ向け長崎出島を出発しました。 そして、ここ桜馬場天満宮で安全祈願を行…
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長崎奉行所東から始まる、いわゆる長崎街道の出発点です。江戸時代には、長崎奉行やシーボルトらも歩いて小倉へ向かったと伝わります。 現在では…
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台場址をさらに進むと、井戸があり底には今でも水があります。周囲は、強固な石垣で囲まれています。 海岸近くには、石切の址も残ります。今回の…
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四郎島中央には、トンネル構造の城郭も現存します。このトンネルを抜けると、大砲を設置した台場があります。 トンネルの中は、崩落しかけていて…
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神ノ島と四郎島は、長崎湾の入口にあって佐賀藩の台場建設以前は海に浮かぶ小島でした。 これを台場とするために、鍋島直正は巨費を投じて、陸続…
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佐賀藩は、嘉永4年(1851)長崎警備の為、四郎島に大砲を設置する台場建設に着工します。外国船の侵入を長崎湾口で阻止する計画です。 まず…
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脊振山修学院は、寺名を積翠教寺といい、仏教の霊場として顕蜜の究学修法の道場としたと伝わります。 修学院(学問所)と改称したのは、慶長5年…
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神埼市城原の真正寺に建つ、少弐氏第17代最後の当主・少弐冬尚の墓です。 少弐冬尚は、永禄2年(1559)龍造寺隆信の攻めにより、勢福寺城…
記録を読む郷土史探訪家・吉松潤二による、写真・資料・日々の探訪の記録です。記事の投稿日と、写真や資料が扱う年代は、それぞれ分けて記載しています。
資料・写真の出典や補足は、各記事の末尾からご確認いただけます。